コラム
相続人に認知症の方がいる場合、遺産分割はどう進める?成年後見制度の利用と手続きの流れを解説
父親が亡くなり、相続人である母親に認知症の症状があるという状況は、高齢化が進む中で珍しいものではなくなっています。「母は自分の名前も書けない状態だが、遺産分割協議書に署名してもらえるのだろうか」というご相談を受けることがあります。
遺産分割協議は法律行為にあたるため、判断能力が十分でない方が加わった協議は、その効力が問題となります。ご家族が代わりに署名するといった対応も、後に大きな問題を生むことがあります。
この記事では、相続人に認知症の方がいる場合に遺産分割をどのように進めるか、成年後見制度の利用方法とその流れ、事前に備えておける方法について解説します。
① なぜ認知症の相続人がいると遺産分割が進まないのか
遺産分割協議は、相続人全員が参加し、全員の合意によって成立します。相続人が一人でも欠けた状態で作成された遺産分割協議書は無効となります。
意思能力が必要とされる理由
遺産分割協議は、財産をどのように分けるかを決める法律行為です。法律行為が有効に成立するためには、その内容を理解し、結果を判断できるだけの能力(意思能力)が必要とされています。
民法3条の2は、法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その法律行為は無効とすると定めています。認知症により判断能力が失われている方が形式的に署名・押印をしても、その協議は無効と判断される可能性があります。
無効となった場合の影響
遺産分割協議が無効とされた場合、それに基づいて行われた不動産の登記や預貯金の解約も、法的な根拠を失うことになります。すでに財産を処分していた場合には、その処理をめぐって相続人間で争いが生じることもあります。
また、金融機関や法務局の窓口で相続人の状況を確認された際に、認知症であることが判明して手続きが止まるというケースもあります。
② 家族が代わりに署名することはできない
ご家族の中には、「母は判断できないので、長男である自分が代わりに署名した」という対応をされる方がいらっしゃいます。しかし、この方法には問題があります。
代筆・代理は認められない
たとえ親子であっても、法律上の代理権がない限り、他の相続人の代わりに遺産分割協議に参加することはできません。実印を預かっていたとしても、本人の意思に基づかない押印は無効です。
さらに、他人の名義で書類を作成した場合には、私文書偽造や公正証書原本不実記載といった問題が生じる可能性もあります。ご家族としては善意で行った対応が、後に責任を問われる事態につながりかねません。
ご家族が代わりに署名するという方法は、後に協議のやり直しを求められる原因となります。
相続人間で意見が一致している間は表面化しなくても、後日どなたかが異議を述べた際に問題となることがあります。
手間はかかりますが、法律上の手続きを踏んで進めることが、結果としてご家族を守ることにつながります。
③ 成年後見制度を利用して遺産分割を進める
相続人の判断能力が十分でない場合に用いられるのが、成年後見制度です。家庭裁判所が選任した成年後見人が、本人に代わって遺産分割協議に参加します。
成年後見制度の3つの類型
| 類型 | 対象となる方の状態 |
| 後見 | 判断能力が欠けているのが通常の状態にある方 |
| 保佐 | 判断能力が著しく不十分な方 |
| 補助 | 判断能力が不十分な方 |
認知症が進行し、日常的な意思疎通が難しい状態であれば、後見の類型が選ばれることが多くなります。どの類型に該当するかは、医師の診断書をもとに家庭裁判所が判断します。
申立てから選任までの流れ
- 本人の住所地を管轄する家庭裁判所に後見開始の申立てを行う
- 申立書とともに、医師の診断書・戸籍謄本・財産目録などを提出する
- 家庭裁判所の調査官による本人・申立人への面談が行われる
- 必要に応じて医師による鑑定が実施される
- 家庭裁判所が後見開始の審判を行い、成年後見人を選任する
申立てから選任までの期間は、事案によりますが2か月から4か月程度を要することが一般的です。相続税の申告期限を意識される場合には、この期間を見込んで早めに着手する必要があります。
申立てにかかる費用
家庭裁判所に納める費用としては、収入印紙・登記手数料・郵便切手代などで1万円前後です。医師の鑑定が必要とされた場合には、別途10万円程度の鑑定費用が生じることがあります。
また、成年後見人が選任された後は、後見人に対する報酬が本人の財産から支払われます。金額は家庭裁判所が決定し、財産の規模に応じて月額2万円から6万円程度が目安とされています。
④ 成年後見人が選任された後の遺産分割
後見人は法定相続分を確保する立場にある
成年後見人は、本人の財産を守る立場にあります。そのため、遺産分割協議においては、本人が法定相続分に相当する財産を取得できるよう主張するのが原則です。
「母は施設に入っているので財産は不要。すべて子どもたちで分けたい」といったご希望があっても、後見人がそれに同意することは通常ありません。この点は、制度を利用する前に理解しておく必要があります。
親族が後見人になれる場合
成年後見人には、ご親族が選任されることもあります。ただし、財産の規模が大きい場合や、親族間で意見の対立がある場合には、弁護士や司法書士などの専門職が選ばれる傾向があります。
なお、相続人であるご家族が後見人に選任された場合、そのご家族と本人は遺産分割において利害が対立する関係になります。この場合には、家庭裁判所に特別代理人の選任を申し立て、その特別代理人が本人に代わって協議に参加することになります。
後見は遺産分割が終わっても続く
成年後見制度は、遺産分割のためだけに一時的に利用できるものではありません。一度開始されると、本人が亡くなるまで、または判断能力が回復するまで継続します。
そのため、後見人への報酬も継続的に発生します。遺産分割を進めるという目的だけを考えると負担に感じられるかもしれませんが、本人の財産管理や身上監護を支える制度でもあります。
⑤ 成年後見以外の方法は考えられるか
成年後見制度の利用には時間と費用がかかるため、他の方法がないかとご相談を受けることがあります。状況によっては、次のような選択肢が考えられます。
法定相続分どおりに登記する
遺産分割協議を経ずに、法定相続分に応じた共有状態で不動産を登記することは可能です。この登記は相続人の一人からでも申請できるため、協議が整わない場合の暫定的な対応となります。
ただし、共有状態のままでは不動産の売却や活用が難しく、将来的に共有者が亡くなるとさらに関係者が増えることになります。あくまで一時的な措置と位置づけられます。
判断能力が残っている段階での対応
認知症の症状が軽度で、遺産分割の内容を理解し判断できる状態であれば、ご本人が協議に参加することも考えられます。
ただし、後にその有効性が争われる可能性を考慮し、医師に診断書を作成してもらう、協議の様子を記録に残すといった対応をあわせて検討されるとよいでしょう。判断能力の有無は程度の問題であり、外形的な印象だけで判断することは難しい面があります。
預貯金の払戻し制度の利用
葬儀費用や当面の生活費が必要な場合には、遺産分割前でも預貯金の一部を払い戻せる制度があります。金融機関ごとに、相続開始時の預貯金額の3分の1に法定相続分を乗じた額(同一金融機関につき150万円が上限)まで、単独で払戻しを受けられます。
これは遺産分割そのものを進める方法ではありませんが、当面の資金需要に対応する手段として利用できます。
⑥ 事前に備えておける方法
ご家族の中に高齢の方がいらっしゃる場合、判断能力が十分なうちに備えておくことで、後の負担を減らせる場合があります。
遺言書の作成
被相続人が遺言書を残していれば、遺言の内容に従って財産を分けることができ、遺産分割協議そのものが不要になる場合があります。
特に、遺言執行者を指定しておくと、相続人の関与を要さずに手続きを進められる範囲が広がります。相続人の中に高齢の方がいらっしゃる場合には、有効な備えのひとつといえます。
任意後見契約
判断能力が十分なうちに、将来判断能力が低下した場合に備えて、あらかじめご自身で後見人を選んでおく制度です。公正証書によって契約を結びます。
法定後見と異なり、支援してもらう内容や後見人をご自身で決められる点が特徴です。ただし、実際に効力を生じさせるには、判断能力が低下した段階で家庭裁判所に任意後見監督人の選任を申し立てる必要があります。
家族信託の活用
財産の管理を家族に委ねる仕組みとして、家族信託を利用する方法もあります。信託契約を結ぶことで、判断能力が低下した後も、受託者となったご家族が財産を管理・処分できるようになります。
ただし、信託の対象とした財産に限られること、契約の設計に専門的な知識を要することから、導入にあたっては十分な検討が必要です。
⑦ よくあるご質問
Q. 母には認知症の診断がありますが、ある程度の会話はできます。協議に参加できますか。
A. 意思能力の有無は、診断の有無だけで決まるものではなく、遺産分割の内容を理解し判断できるかどうかで判断されます。日常会話ができても、財産の内容や分割の意味を理解することが難しい場合には、能力が不十分とみられることがあります。判断が難しい場合は、主治医の意見を確認したうえで検討することになります。
Q. 成年後見人がつくと、母の財産は自由に使えなくなりますか。
A. 本人のための支出であれば、生活費や施設利用料などとして支出されます。一方、ご家族への贈与や、本人にとって利益のない支出は認められません。後見人は家庭裁判所に定期的な報告を行う義務があり、財産の使途は管理されることになります。
Q. 相続税の申告期限が近いのですが、後見人の選任が間に合いません。
A. 申告期限までに遺産分割がまとまらない場合は、法定相続分で仮に計算して申告と納付を行う方法があります。あわせて「申告期限後3年以内の分割見込書」を提出しておくことで、後日分割が確定した際に配偶者の税額軽減などの特例を適用できます。税理士とも連携しながら進めることになります。
Q. 後見の申立ては誰ができますか。
A. 本人、配偶者、四親等内の親族、市区町村長などが申し立てることができます。ご家族が申立人となる場合が多く、その際に後見人の候補者を挙げることもできますが、最終的に誰を選任するかは家庭裁判所が判断します。
まとめ
相続人に認知症の方がいる場合の遺産分割について、本記事で整理した内容を振り返ります。
- 遺産分割協議には意思能力が必要であり、判断能力が不十分な方が加わった協議は無効となる可能性がある
- ご家族が代わりに署名する方法は、後に協議のやり直しを求められる原因となる
- 成年後見制度を利用し、選任された後見人が本人に代わって協議に参加するのが基本的な進め方
- 申立てから選任まで2〜4か月程度を要するため、期限のある手続きがある場合は早めの着手が必要
- 後見人は本人の法定相続分を確保する立場にあり、本人の取り分を減らす内容には同意しない
- 後見は遺産分割の終了後も継続し、報酬が発生し続ける点も踏まえて検討する
- 判断能力が十分なうちであれば、遺言書・任意後見契約・家族信託といった備えが考えられる
「母に判断能力がなく、遺産分割が進められない」「後見の申立てを検討しているが手続きがわからない」といったご相談を承っております。ご事情を伺ったうえで、進め方をご一緒に検討いたします。




